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実例

「入れ歯が合わないだけ」と思っていた ― 噛めなくなったことから始まった食事機能低下と誤嚥性肺炎

誤嚥性肺炎というと、「飲み込む瞬間」に問題がある病気だと思われがちです。しかし食べ物は、飲み込む前に口の中で噛み砕かれ、唾液と混ざり、飲み込みやすい一つのまとまりにされます。つまり安全な嚥下は「噛むところ」からすでに始まっています

今回ご紹介するのは、長年使っていた入れ歯が合わなくなったことをきっかけに食事内容が変わり、体重や筋力まで低下した後に肺炎を発症したケースです。「入れ歯が少し合わないくらいなら、年齢的に仕方がない」。そう考えられていた小さな口の問題が、実は全身の変化につながっていました。

なお、義歯をお使いの方の口腔ケアそのものについては総義歯と舌の汚れから考えたケースでご紹介しています。本記事は義歯が「合っているか」=噛めているかに絞ってご説明します。

※ 本症例は、臨床でみられる経過をもとに構成した架空の複合症例です。

症例:F様(86歳・男性・仮名)

奥様と二人暮らしで、上下に部分入れ歯を使用していました。以前は肉や魚、野菜なども普通に食べていましたが、半年ほど前から「この入れ歯、噛むと痛いんだよ」と言うようになりました。奥様が歯科受診を勧めても、「食べられないわけじゃないから大丈夫」と、そのまま使用していました。

ところが、食卓では少しずつ変化が起きていました。肉を残す。野菜を避ける。漬物を食べなくなる。ご飯に汁物をかけることが増える。そして豆腐、うどん、茶碗蒸しなど、あまり噛まなくても食べられるものばかりを選ぶようになったのです。

さらに数か月後には、次のような変化も現れました。

  • 食事時間が長くなった
  • 一回の食事量が減った
  • 体重が4kgほど減った
  • 外出しなくなった
  • 歩く速度が遅くなった
  • 食事後半に疲れるようになった

その後、発熱と痰の増加から肺炎と診断され、誤嚥の関与も疑われました。退院後、再発予防のため当院で口腔と嚥下機能を評価することになりました。

当院での評価

最初に見つかったのは「喉」ではなく「入れ歯」の問題

口腔内を確認すると、長期間使用していた部分入れ歯が現在の口腔状態に十分適合していませんでした。噛むと痛みが出る部分があり、F様は無意識のうちに反対側だけで噛んでいました。ご本人に尋ねると、「硬いものは面倒だから、最近は食べない」と話されました。

ここで重要なのは、F様ご自身が「食べられなくなった」とは考えていなかったことです。食べにくいものを避け、食べられるものだけを選んでいたため、ご本人にとっては「まだ普通に食べている」つもりだったのです。

噛むことは、飲み込む準備でもあります

食べ物は、口へ入れたらすぐに飲み込むわけではありません。歯や義歯で噛み、舌を使って唾液と混ぜながら、飲み込みやすい状態に整えます。この過程を咀嚼といいます。十分に噛めない状態では、食べ物を適切な大きさやまとまりにしにくくなることがあります。

つまり誤嚥性肺炎の予防を考える際には、「飲み込めるか」だけでなく、「飲み込める状態まで口の中で準備できているか」という視点も大切です。お口の機能の低下そのものについては口腔機能低下症が背景にあったケースもご参照ください。

もう一つ気になったのが体重減少

F様には半年間で約4kgの体重減少がありました。食事内容を詳しく伺うと、肉や魚などを避けるようになり、全体の食事量も減っていました。さらに外出する機会が減り、活動量も低下していました。つまり、次のような悪循環に入っていた可能性が考えられました。

  • 義歯が合わない → 噛みにくい
  • → 食べられる食品が減る
  • → 食事量・栄養摂取量が減る
  • → 体重・筋力が低下する
  • → 食べること自体がさらに大変になる

低栄養と全身の筋力についてはサルコペニア・低栄養が背景にあったケース、食べる量を減らしすぎた場合については食べる量を減らしたことが逆効果になったケースでも取り上げています。

対処・介入

  • 義歯の状態を見直す:まず義歯の適合状態を確認し、痛みの原因を評価して必要な調整を行いました。義歯は一度作れば一生そのまま使えるものではありません。歯肉や顎の状態は年月とともに変化するため、定期的な確認が必要です。
  • 「何が食べられるようになったか」を確認する:義歯を調整して終わりにはしませんでした。実際の食生活がどう変わったのかを確認し、F様が避けていた食品について、現在の咀嚼・嚥下機能に合わせて安全に食べられるものから少しずつ食事の幅を広げました。
  • 栄養状態を確認する:体重減少があったため、食事量や栄養状態についても確認しました。必要に応じて管理栄養士などと連携し、単に「硬いものを食べられるようにする」のではなく、必要なエネルギーやたんぱく質を確保することを目標としました。
  • 身体を動かす機会を取り戻す:F様は食事量の低下とともに外出も減っていました。体調を確認しながら、散歩などの日常的な活動を少しずつ再開しました。誤嚥性肺炎の予防では、口腔機能と全身の筋力を別々に考えないことが重要です。
  • 嚥下機能と口腔ケアも継続する:義歯を調整すれば肺炎を予防できるということではありません。F様についても嚥下機能、咳の力、口腔衛生状態などを継続して確認し、毎日の義歯清掃と口腔ケアについてもあらためてご説明しました。

経過

義歯の調整後、F様は少しずつ食べられる食品が増えていきました。数か月後には、以前は避けていた肉類も食べられるようになっています。食事量も徐々に回復し、体重減少にも歯止めがかかりました。外出する機会も少しずつ増えています。ご家族にも、お口の状態が食事の内容や体調全体と関わることを共有できました。その後も定期的な歯科受診、口腔管理、嚥下・栄養状態の確認を続けています。

※ 改善の程度には個人差があり、状態や基礎疾患によって経過は異なります。義歯の調整だけによって肺炎を防げたと断定することはできません。しかしF様では、噛めないことから始まった食生活と全身状態の変化を早めに修正することが、再発予防を考えるうえで重要でした。

ご家庭でできる予防のポイント

高齢のご家族では、「むせ」だけでなく食べるものの変化にも注目してみてください。

  • 最近、肉を残すようになった
  • 野菜など硬いものを避けている
  • 軟らかいものばかり選ぶ
  • 義歯を外して食べている
  • 「入れ歯が痛い」と言っている
  • 食事時間が長くなった
  • 食事量が減った
  • 体重が減ってきた

特に、「食べられない」とご本人が言っていなくても、食べなくなった食品が増えていないかを見ることが大切です。一つだけで嚥下障害と判断することはできませんが、複数の変化が重なってきた場合には、「年齢のせい」と決めつけず、歯科や主治医へご相談ください。こうした変化の捉え方はオーラルフレイルから始まったケースもご参照ください。

おわりに

今回の症例で考えていただきたいのは、誤嚥性肺炎の予防は「喉」から始まるわけではないということです。食べ物を見る。口へ運ぶ。噛む。舌でまとめる。飲み込む。呼吸する。そして必要な栄養を身体へ届ける。これらすべてがつながって「食べる」という行為になります。

義歯が合わないという一見すると小さな問題からでも、食事内容が変わり、栄養状態が変わり、筋力が変わり、最終的には食べる機能全体に影響する可能性があります。だからこそ、「飲み込めていますか?」だけでなく、「きちんと噛めていますか?」という問いも、誤嚥性肺炎の予防には必要です。摂食嚥下障害についてもあわせてご覧ください。

当院のワンポイント

誤嚥性肺炎の予防は、「噛むところ」から始まっています。高齢の方が急に軟らかいものばかり食べるようになったとき、「年を取ったから」だけで終わらせないでください。歯が痛くないか。義歯が合っているか。噛めているか。食べなくなった食品はないか。体重が減っていないか。そこに、食べる機能の低下の最初のサインが隠れていることがあります。

口腔 → 咀嚼 → 嚥下 → 栄養 → 筋力。このつながり全体を見ることが、誤嚥性肺炎を予防しながら「口から食べる」を守るために大切です。通院が可能な方は外来(完全予約制)、通院が難しい方は訪問診療で対応します。ケアマネジャーさま・施設さまからのご相談はこちらをご覧ください。

※ 本記事は特定の患者様の症例ではなく、個人が特定されないよう構成した典型的な複合症例です。記載した経過は複合症例に基づく一般的な例であり、治療経過には個人差があります。本記事の内容が特定の効果・予後を保証するものではありません。

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