「歯が痛いとは言わない。でも食べなくなった」― 口腔内の痛みから考える誤嚥性肺炎予防
高齢のご家族が急に食べなくなったとき、「食欲が落ちたのかな」「年齢のせいかな」「飲み込みが悪くなったのかな」と考えることがあります。しかし、もう一つ確認してほしい場所があります。口の中です。歯の痛み、義歯による傷、口内炎、舌や粘膜の炎症などがあれば、噛むことや飲み込むことを避けるようになる場合があります。特に認知機能が低下している方では、「ここが痛い」と正確に訴えられるとは限りません。今回ご紹介するのは、「痛い」という訴えはなかったものの、食べる量が減ったことをきっかけに口腔内の異常が見つかった患者さんです。
なお、部分入れ歯が合わなくなって噛めなくなったケースは入れ歯の適合から考えたケース、認知症のある方の食事中の注意力については食事中の注意力低下のケース、食事量の低下と低栄養については低栄養と「食べる力」のケースでもご紹介しています。本記事は痛みを言葉で訴えられない方の「食べ方の変化」に絞ってご説明します。
※ 本症例は、臨床でみられる状況を参考に構成した架空の複合症例です。
症例:AB様(86歳・女性・仮名)
認知症があり、娘さん夫婦と自宅で生活していました。食事は自分で食べることができ、以前は毎食ほぼ完食していました。ところが、ある時期から食べ方が変わりました。最初の数口は食べます。しかし、その後スプーンを置いてしまいます。娘さんが、「もう食べないの?」と尋ねても、「いらない」と答えるだけです。好きだった肉料理を残す、硬めの野菜を避ける、片側だけで噛む、食事時間が長くなる。こうした変化が少しずつ目立つようになりました。娘さんは、「飲み込みが悪くなったのではないか」と考え、食事を細かく刻むようになりました。それでも摂取量は戻りません。しばらくしてAB様は体調を崩し、肺炎と診断されました。経過から誤嚥の関与も考えられたため、治療後に再発予防について当院へ相談されました。
当院での評価
まず嚥下の状態だけでなく、口腔内を詳しく確認しました。すると、奥歯付近の粘膜に発赤と傷がみられました。義歯を装着すると、その部分に義歯の一部が当たっています。AB様に、「ここ、痛くありませんか?」と尋ねると、「別に痛くない」と答えました。しかし、その部分に触れると顔をしかめます。食事場面でも、義歯を使用すると硬いものを避け、反対側だけで噛もうとする様子がみられました。そこで、「食べられない」のではなく、「食べると不快だから避けている可能性」について考えました。
高齢者の「痛くない」は、本当に痛くないとは限りません
痛みの感じ方や表現方法には個人差があります。特に認知機能が低下している方では、「どこが痛いのか」「いつから痛いのか」「食べると痛むのか」をうまく説明できない場合があります。そのため、言葉だけではなく、行動の変化を見ることが重要になります。例えば、急に食べなくなった、片側だけで噛むようになった、義歯を外したがる、口元を触る、顔をしかめる、特定の食品だけ避ける。こうした変化が、口腔内の不調を知らせている場合があります。
口の中が痛いからといって、それだけで誤嚥性肺炎になるわけではありません。しかし、口腔内の痛みや不快感によって食事量が低下すれば、栄養状態や体力に影響する可能性があります。また、十分に噛まずに飲み込もうとしたり、片側だけで無理に処理したりすることで、普段とは異なる食べ方になることもあります。さらに、痛みの原因によっては口腔衛生状態が悪化する場合もあります。つまり誤嚥性肺炎予防では、「飲み込めるか」だけではなく、「痛みなく食べられる口になっているか」という視点も必要です。
対処・介入
AB様では、義歯と粘膜の関係を確認し、必要な調整を行いました。義歯は一度作れば一生そのまま使えるものではありません。歯ぐきや顎の形、体重、噛み合わせなどの変化によって、合わなくなることがあります。
「義歯が原因」と最初から決めつけず、歯、歯ぐき、舌、頬粘膜なども確認しました。口腔内の傷や腫れが長く続く場合には、別の疾患が隠れている可能性もあるため、歯科での評価が必要です。
娘さんは「飲み込みが悪くなった」と考え、すべての料理を細かく刻んでいました。しかし、食べにくさの原因が口腔内の痛みであれば、食形態を変更するだけでは根本的な解決にならない場合があります。そこで口腔状態と嚥下機能の両方を確認しながら、AB様に適した食事を検討しました。
食事摂取量が低下していたため、体重や栄養状態についても確認しました。必要に応じて主治医や管理栄養士などとも情報を共有しました。
ご家族には、「食べない=食欲がない」と決めつけず、口が痛い、噛みにくい、飲み込みにくい、疲れる、眠い、食事が合わないなど、さまざまな可能性から観察するようお伝えしました。
経過
口腔内の状態に対応し、義歯についても調整を行いながら経過をみました。数週間後には、以前より食事を途中でやめることが少なくなったと、娘さんから伺いました。それまで避けていた食品も、状態に応じた形で少しずつ食べられるようになりました。なお、この間もAB様ご本人が歯の痛みを訴えることは、最後までありませんでした。その後も口腔状態、嚥下機能、栄養状態、全身状態を継続して確認しています。
※ 改善の程度には個人差があり、状態や基礎疾患によって経過は異なります。もちろん、口腔内の痛みに対応したことだけで肺炎を予防できると断定することはできません。しかしAB様では、「食べない」という行動を嚥下障害だけで説明せず、その背景にある口腔内の問題を探したことが、誤嚥性肺炎予防を考える重要なきっかけとなりました。
ご家庭でできる予防のポイント
高齢のご家族の食事量が急に減ったときには、口の中や食べ方にも注目してください。片側だけで噛んでいないか、硬いものだけ残していないか、義歯を外したがらないか、食事中に顔をしかめていないか、口元を頻繁に触っていないか、歯ぐきや粘膜に赤み、腫れ、傷がないか、歯が欠けたり動いたりしていないか、食事時間が急に長くなっていないか、食事量や体重が減っていないか。特に、口腔内の傷、腫れ、出血などが続く場合には、「入れ歯のせいだろう」と自己判断せず、歯科医療機関へ相談してください。また、急激な食欲低下や意識状態の変化、発熱、呼吸状態の変化などがある場合には、全身疾患の可能性も考えて医療機関への相談が必要です。
おわりに
誤嚥性肺炎予防というと、「どう飲み込むか」に目が向きます。しかし、その前には、「痛みなく噛めるか」という段階があります。口が痛ければ、食べ方が変わる。食べ方が変われば、食事量が変わる。食事量が減れば、栄養や体力にも影響する可能性があります。だからこそ、誤嚥性肺炎予防では、口腔衛生・口腔機能・嚥下・栄養を別々に考えないことが大切です。そして、本人が「痛くない」と言っていても、いつもと違う食べ方をしているなら、その行動には理由があるかもしれません。飲み込みの評価について詳しくは摂食嚥下の診療をご覧ください。
当院のワンポイント
「食べない」は、症状ではなく「サイン」かもしれません。高齢者、特に認知機能が低下している方では、「痛いです」と明確に訴えてくれるとは限りません。そんなときには、何を残すのか、どちら側で噛むのか、どんな表情をするのか、義歯を嫌がっていないかを見てみてください。誤嚥性肺炎予防を、「むせを探す」だけから「食べ方の変化の理由を探す」予防へ。昨日まで食べていた人が食べなくなった。その変化を「年齢のせい」で終わらせないことが、口から安全に食べ続けるための大切な第一歩です。通院が可能な方は外来(完全予約制)、通院が難しい方は訪問診療で対応します。ケアマネジャーさま・施設さまからのご相談はこちらをご覧ください。
※ 本記事は特定の患者様の症例ではなく、個人が特定されないよう構成した典型的な複合症例です。記載した経過は複合症例に基づく一般的な例であり、治療経過には個人差があります。本記事の内容が特定の効果・予後を保証するものではありません。