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実例

「むせていないから大丈夫」が危険だった ― 不顕性誤嚥を繰り返していたケース

誤嚥というと、多くの方が「食事中に激しくむせる」「水を飲んだときに咳き込む」といった状態を想像されると思います。ところが、誤嚥しているにもかかわらず、ほとんどむせない人がいます。これを「不顕性誤嚥(サイレント・アスピレーション)」と呼びます。

ご本人にもご家族にも気づかれにくいため発見が遅れ、肺炎を繰り返して初めて嚥下障害が分かることもあります。今回は、「食事中にほとんどむせないのに、なぜか肺炎を繰り返す」という患者さんから、不顕性誤嚥が見つかったケースをご紹介します。

※ 本症例は、臨床でみられる経過をもとに構成した架空の複合症例です。

症例:Q様(81歳・男性・仮名)

高血圧の治療を受けていましたが、日常生活は自立しており、普通食を召し上がっていました。ご家族も「父はむせないので、飲み込みは大丈夫だと思っていました」と話されていました。

ところが、半年ほどの間に2回、肺炎を発症しました。2回目の入院では、担当医から「誤嚥性肺炎の可能性があります」と説明されましたが、ご家族には納得できない部分がありました。「でも、食事ではほとんどむせないんです」。そこで肺炎を繰り返す原因を調べるため、嚥下機能の詳しい評価を行うことになりました。

当院での評価

まず確認したのは「むせ」以外の変化

詳しくお話を伺うと、最近になって次のような変化がみられていました。

  • 食事に以前より時間がかかる
  • 食後に声が少しガラガラする
  • 痰が増えた
  • 食後に眠そうになる
  • 微熱が出ることがある

激しく咳き込むことはありません。しかし「むせ」以外には、嚥下機能の低下を疑わせる小さなサインがいくつもありました。

嚥下内視鏡検査(VE)

嚥下内視鏡検査を行ったところ、咽頭内に唾液や分泌物の貯留がみられました。さらに少量の水分を用いて評価すると、気道側へ流入しても十分な咳反射が起こりにくい状態が確認されました。つまり「誤嚥していない」のではなく、「誤嚥してもむせにくい」状態だったのです。

なぜ、誤嚥してもむせないのでしょうか

本来、食べ物や唾液などが気道へ入りそうになると、身体は咳を起こして外へ排出しようとします。これは身体を守る重要な防御反応です。ところが加齢や脳卒中などの神経疾患によって咽頭・喉頭の感覚が低下すると、この防御反応が弱くなることがあります。その結果、少量の唾液や飲食物が気道へ入っても本人が気づかず、咳も起こらない場合があります。これが不顕性誤嚥です。

口腔内の評価

さらにQ様には、舌苔の付着、歯周病、口腔乾燥も認められました。ここは非常に重要なポイントです。誤嚥するものは、食べ物だけではありません。口腔内の細菌を含んだ唾液を少量ずつ誤嚥することもあります。特に不顕性誤嚥では本人が気づかないため、口腔環境を良好に保つことが誤嚥性肺炎予防の重要な対策の一つになります。これは胃ろう造設後でも同じです。

対処・介入

  • 食事方法の見直し:食事中の姿勢、一口量、食べる速度などを確認しました。特に「一口食べたら、しっかり飲み込んでから次の一口へ進む」ことを意識していただき、状態に合わせて水分や食事形態も調整しました。
  • 嚥下リハビリテーション:言語聴覚士と連携し、嚥下機能を維持するための訓練を開始しました。あわせて、咳をする力や呼吸機能の維持も意識した訓練を取り入れました。
  • 口腔ケアの強化:歯科衛生士による専門的口腔ケアを開始しました。ご本人とご家族には「むせを完全になくすことだけが肺炎予防ではありません。もし唾液を誤嚥したとしても、その唾液に含まれる細菌をできるだけ減らしておくことも大切です」とご説明し、毎日の歯みがきに加えて舌や義歯を含めた口腔管理を継続しました。
  • ご家族による観察:「むせ」だけを観察するのではなく、食後の声の変化、痰の増加、食欲低下、微熱、元気がない、食事時間が長くなる、といった変化にも注意していただきました。

経過

介入から約3か月後、食後の痰が減少し、口腔内の状態も改善しました。ご家族も、むせの有無だけでなく食後の声や痰の変化を観察できるようになり、その後も定期的な嚥下機能の評価と口腔管理を継続して、肺炎の再発なく経過しています。

※ 改善の程度には個人差があり、状態や基礎疾患によって経過は異なります。不顕性誤嚥がある方すべてで肺炎を完全に予防できるわけではありません。ただし、誤嚥の状態だけでなく、口腔環境、栄養状態、呼吸機能、全身状態などを総合的に管理することで、肺炎発症のリスクを減らせる可能性があります。

ご家庭でできる予防のポイント

「むせない=安全」と考えないことが大切です。特に高齢者では、次のような変化に注意してください。

  • 食事時間が以前より長くなった
  • 食後に声がガラガラする
  • 食後に痰が増える
  • 原因の分からない微熱を繰り返す
  • 食欲が低下した
  • 体重が減ってきた
  • 肺炎を繰り返している

こうした変化がみられる場合には、嚥下機能について専門的な評価を受けることも選択肢になります。オーラルフレイルのように、小さな変化から始まることも少なくありません。

おわりに

誤嚥性肺炎の予防を考えるうえで、非常に重要なことがあります。それは「むせる人だけが誤嚥しているわけではない」ということです。むしろ注意しなければならないのは、誤嚥しても咳が出ない方かもしれません。

誤嚥性肺炎の予防では、「食事中にむせていますか?」という質問だけでは十分ではありません。食事時間、声、痰、発熱、体重、口腔状態、活動量など、日常生活に現れる小さな変化を拾い上げることが大切です。肺炎になってから誤嚥を探すのではなく、肺炎になる前に小さなサインを見つける。これが、誤嚥性肺炎予防における重要な考え方の一つです。摂食嚥下障害についてもあわせてご覧ください。

当院のワンポイント

「むせない」は、安全の証明ではありません。誤嚥性肺炎の予防では、「むせの有無」だけで嚥下機能を判断しないことが重要です。特に「むせないのに肺炎を繰り返す」「食後に声が変わる」「痰や微熱が増えてきた」という場合には、不顕性誤嚥を含めた嚥下機能の評価を検討する必要があります。

当院では、口腔内の状態や日常生活の変化も含めて総合的に評価し、必要に応じて嚥下内視鏡検査(VE)なども活用します。「むせを探す」のではなく、「肺炎につながるサインを探す」。それが、誤嚥性肺炎を早い段階から予防するための大切な視点です。通院が可能な方は外来(完全予約制)、通院が難しい方は訪問診療で対応します。

※ 本記事は特定の患者様の症例ではなく、個人が特定されないよう構成した典型的な複合症例です。記載した経過は複合症例に基づく一般的な例であり、治療経過には個人差があります。本記事の内容が特定の効果・予後を保証するものではありません。

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