痰を出す力が弱くなっていた ― 咳の力と肺炎のリスク
誤嚥性肺炎の予防というと、「誤嚥させない」ことに目が向きがちです。しかし、ごくわずかな誤嚥を完全になくすことは難しく、気管に入ったものを咳で外に出す力も、肺炎の予防を考えるうえで重要だと考えられています。今回は、咳が弱くなり、痰を出しにくくなっていたことが、肺炎のリスクを考えるきっかけになった方の症例をご紹介します。
なお、むせのない誤嚥については不顕性誤嚥のケース、食後の声の変化については食後の声のケース、呼吸と飲み込みのタイミングについては呼吸と嚥下のケースでご紹介しています。本記事は気管に入ったものを咳で出す力に絞ってご説明します。
※ 本症例は、実際の複数の症例をもとに再構成した架空の複合症例です。特定の個人を指すものではありません。
症例
80代の男性です。奥様と二人暮らしで、数年前に軽い脳梗塞を起こしましたが、現在は杖を使って歩くことができます。食事は普通食に近い形で、自分で食べておられます。この半年で、風邪をひくたびに痰がからむ期間が長引き、2か月前には発熱を伴う気管支炎と診断されました。
奥様は、「咳をしても、痰が出ていないように見える」「食事のときよりも、夜間や朝に、のどがゴロゴロと鳴る」と話しておられます。肺炎に進むのではないかと心配され、当院に相談がありました。
当院での評価
まず、食事の様子を拝見しました。大きなむせはありませんでしたが、食後に声が少しかすれ、飲み込んだあとに咳払いを繰り返す場面がありました。ご本人に「思い切り咳をしてください」とお願いすると、咳の勢いが弱く、続けて強い咳をすることが難しい様子でした。声も小さく、話しているうちに息が続かなくなる場面がありました。
口の中は、舌に汚れが付着し、乾燥しておられました。姿勢は、背中が丸く、椅子に浅く腰かけ、胸が十分に広がりにくい状態でした。当院では、咳の強さを機械で測定することはできません。そのため、観察から言えるのは、「咳の力が弱い可能性がある」という点までです。その原因が、脳梗塞の後遺症なのか、加齢による筋力の低下なのか、呼吸器の病気が関わっているのかは、当院の観察だけでは判断できません。
なぜ咳の力が肺炎のリスクと関係するのか
食べ物や唾液、口の中の細菌を含んだ分泌物が、少量でも気管に入ることは、健康な人でも起こり得ると考えられています。通常は、咳をすることで、気管に入ったものを外へ押し出します。ところが、咳の力が弱いと、入ったものを十分に出せず、肺に残って炎症を起こすリスクが高まる可能性があります。
脳卒中の急性期の患者さんを対象とした研究(Kulnik らによる、2016年の報告)では、意図的に咳をしたときの最大の呼気の流量が高い人ほど、肺炎の発症が少ない傾向がみられたと報告されています。ただし、これは臨床試験のデータを後から解析した研究であり、著者自身が「仮説を示すための結果」としています。意図的な咳では関連がみられたものの、その結果は境界的で、反射的な咳では統計的に明確な関連はみられなかったとされています。対象も脳卒中の急性期の患者さんです。そのため、在宅で暮らす高齢者の方にそのままあてはまるとは限らず、咳の力が弱いことが肺炎の原因だと断定することもできません。
また、咳の力が弱くなる背景には、加齢や筋力の低下、猫背などの姿勢、呼吸器や神経の病気、栄養状態など、さまざまな要因が関わると考えられます。咳の力が弱い方すべてが肺炎になるわけではなく、肺炎の発症には、口の中の細菌の状態や、全身の抵抗力なども関わります。
対処・介入
まず、咳の力の評価と、原因の確認を勧めました。主治医に相談し、呼吸機能の評価や、必要に応じて呼吸器の専門的な診察を受けられるよう手配を進めました。咳の力や呼吸の状態によっては、理学療法士など、呼吸のリハビリテーションに携わる専門職による評価が役立つことがあります。ただし、どのような訓練が適しているかは、全身の状態によって異なるため、専門職の評価を受けてから決める必要があります。
次に、評価を待つあいだにできる工夫をお伝えしました。椅子には深く腰かけ、背もたれを使って背筋を伸ばし、胸が広がりやすい姿勢を保つこと。水分を十分に摂ること。脱水があると、痰が粘り、出しにくくなると一般に言われているためです。ただし、水分の摂り方には、むせやすさや心臓、腎臓の病気に配慮が必要な場合があるため、主治医の指示がある場合はそれに従うよう伝えました。
さらに、口の中を清潔に保つことを重ねてお願いしました。咳で痰を出しきれなかった場合に備えて、少量の分泌物に含まれる細菌の量を減らしておくことは、肺炎のリスクを下げる助けになると考えられているためです。食後の歯みがきと舌の清掃、乾燥への対応を、奥様と一緒に確認しました。なお、奥様が咳を無理に促したり、背中を強くたたいたりすることは、かえって危険な場合があるため、避けていただきました。
経過
その後、評価のための受診の予定が決まりました。姿勢と口のケアを続けるなかで、奥様は、朝ののどのゴロゴロが減ったように感じておられます。ただし、この時期には季節の変化もあり、これらの工夫だけが変化の理由とは言い切れません。
評価の結果をふまえて、必要な呼吸の訓練や、食事の方法の見直しを検討していく予定です。引き続き、痰や発熱、食事量の変化を見守っています。
ご家庭でできる予防のポイント
咳の力は、普段あまり意識されませんが、肺炎の予防を考えるうえで大切な要素です。次のような様子がないか、日頃から見てください。
- 咳をしても痰が出ない
- 咳が弱く続かない
- 声が小さくなった
- 話すと息が続かない
- 夜間や朝にのどがゴロゴロと鳴る
- 風邪のあとの痰が長引く
こうした様子が続く場合は、むせの有無にかかわらず、早めに歯科や主治医へ相談してください。
姿勢を整える、口の中を清潔に保つ、日中に体を動かす、栄養をしっかり摂るといった工夫は、身近なところから始められます。ただし、咳を促すための介助や呼吸の訓練は、やり方によっては危険を伴う場合があるため、専門職の指導を受けてから行ってください。
おわりに
むせないことや、食事が普通に食べられていることだけでは、肺炎のリスクを判断することはできません。気管に入ったものを外に出す力にも目を向けることで、これまで見逃していた変化に気づくことがあります。ご本人とご家族、そして医療や介護の専門職が、咳や痰、声の変化といった小さな変化を共有していくことが大切だと考えています。
当院のワンポイント
咳の弱さや痰の出にくさは、気づきにくい変化です。気になる様子があれば、むせがなくても、早めにご相談ください。通院が可能な方は外来(完全予約制)、通院が難しい方は訪問診療で対応します。ケアマネジャーさま・施設さまからのご相談はこちらをご覧ください。
※ 本記事は特定の患者様の症例ではなく、個人が特定されないよう構成した典型的な複合症例です。記載した経過は複合症例に基づく一般的な例であり、治療経過には個人差があります。本記事の内容が特定の効果・予後を保証するものではありません。